NPO法人あそーとの腰が低めの代表のblog

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カテゴリ: 本の紹介

<物語化>とは、じつはいわば仮説の形成です。

「人はなぜ物語を求めるのか」という本を読んだ。




上の文章は、この本の中にある一文だ。

人は「世界」や「私」をストーリー形式で認識しているそうだ。

言われてみると、たしかにそうかもしれない。

ストーリーには、前後関係や因果関係がある。

「これがこうなってるからああなっているのか。」「これはこういうことだからこうなのか。」

こんなことを無意識のうちに、いろいろなことに当てはめて考えている。そして理解している。

またストーリーの出発点は、平衡状態が崩される不本意な事態が生じたということだそうだ。

新たな平衡状態を獲得するために、その事態を自分が納得(理解)できるようにしていく必要がある。

そこで起こっている事態を納得(理解)できない状態に耐えることはなかなか難しい。

だから、この理解の過程で物語化が行われる。

要は、モヤモヤをそのまま放っておくことはなかなか難しいということだろうか。

たぶん僕は、毎日起こるモヤっとする出来事に、何らかの理由や解釈を付け加えて(物語化して)、いろいろとやり過ごして(納得して)いるのだろう。

その何らかの理由や解釈は自分が作りだした仮説に過ぎないのだけれど、自分の平衡状態を保つために仮説を仮説と思うこともなくやり過ごしている。

そして、それらの情報処理は僕の意識の俎上に上がることもなく日々淡々と行われているのだと思う。

自分が生活を送る上では特にそのようなことを意識する必要もない。

周りで起こる出来事を自分にとって都合のいい仮説で押さえ込んでしまうほうが絶対に気が楽だ。

ただ、対人援助の場面では、自分が作りだした仮説を仮説だと気づかずに支援を進めていくのは危険だ。というか、ダメだ。

対人援助は、クライエントの臨床像をいかに精度良く自分の中に描いていくかがポイントだ。

ここで、自分が描いている臨床像はあくまで仮説だということを忘れてはいけない。

クライエントのことを完全に理解することはできないと思いながら(仮説は仮説だと気づきながら)、それでもできる限り考えていく。

このあいだを行ったり来たりする過程がとても大事だ。

しかもできれば支援者数人で行ったり来たりしたいところだ。

そんな感じであそーとはやっていきたい。

とりあえず、臨床像を“描(えが)く”に変わる、何かいい言葉を見つけたいと思う。

“描く”とか書くのは恥ずかしい。

誰も自分のことを描かれたいとか思ってないような気もする。

先週の土曜日に、cocoaruでブクブク交換が開催された。

ブクブク交換とは参加者がテーマに沿った本を持ち寄り、その本を紹介する。他の人たちの本の紹介を聞いて、自分が気になった本と自分が持ってきた本を交換する、というイベントだ。

ルーム・トゥ・リード関西チームさん主催で、ココアルを使って開催されている。ココアル開催は先日で3回目。僕も楽しいので毎回参加させてもらっている。(いつもありがとうございます。)

今回のブクブク交換のテーマは「新生活・新学期」ということで、僕は夏目漱石の『坑夫』という小説を持っていった。ちょうど先日、読んだところだったので、タイムリーな感じのテーマだった。(『坑夫』を読むのは2回目。個人的には夏目漱石の中では一番好き。)

数年前からちょくちょく夏目漱石を読んでいる。雑なまとめ方かもしれないが、だいたいの漱石の作品の“頭いい男子がなんかウジウジ悩む”のがウザくて好きだ。村上春樹みたいに「やれやれ」とか言わずに、ウジウジしている。

『坑夫』の主人公もウジウジしている。最初の30ページくらいはとにかくウザくて最高。

作品紹介
恋愛事件のために家を出奔した主人公は、周旋屋に誘われるまま坑夫になる決心をし、赤毛布や小僧の飛び入りする奇妙な道中を続けた末銅山に辿り着く。飯場にひとり放り出された彼は異様な風体の坑夫たちに嚇かされたり嘲弄されたりしながらも、地獄の坑内深く降りて行く……漱石の許を訪れた未知の青年の告白をもとに、小説らしい構成を意識的に排して描いたルポルタージュ的異色作。

というような感じで、主人公は“堕落の稽古”(作中の表現)を始める。炭坑内では、稽古を必要としなくても“堕落”している人がたくさんいる。”堕落“せざるを得なかった人もいる。主人公の価値尺度において”堕落“がとても似合わない人格者も、状況としての”堕落“をしている。

最後は炭坑から出ることになるのだが、たぶん主人公は炭坑に入る前後で変わっている。

「新生活」が始まっている。

でも『坑夫』は、この変化を劇的にいちいち描かない。

これこれ、こんなことがあった。衝撃を受けた。そして、僕は変わった。

そんな言葉は出てこない。ただ、淡々と話は進んでいく。

僕自身も「なんか自分も変わったなー」とかときどき思うこともあるが、何か劇的なことがあったかと言うと、これです!ということは思いつかない。

でも5年前とは考え方とかも変わっているような気もする。

『坑夫』みたいに、たぶんこの5年くらいでいろいろと経験して変わったのだろうと思うけれども、どの出来事が自分にどう影響してとかはよくわからない。

生活や仕事の環境は変わったけれど、その環境の変化が自身が変わったタイミングかと言われるとそうでもない。

こんなことをウダウダと書いている僕も『坑夫』の主人公と同じ、“堕落に稽古”を要するうさん臭い人間なのだろうと思う。

でも、自分のうさん臭さは嫌いではない。

cocoaruの利用者さんに小説を書く方がいる。

小説を書く人と知り合いになるのはその方が初めてだ。

いつも書き手視点の話を聞かせてもらっている。楽しい。


その利用者さんが新作の『ブラックホームダウン』という小説を書いた。

表紙は別の利用者さんが描いて、製本している。

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文章データは、事務所のパソコン内に入ってはいるがせっかくなので製本されたもので読みたかった。

なので、外部に向けての販売を開始したと同時に、僕も購入した。

それを読む時間がやっとできたので、読んだ。(最近、何かと忙しめ。)



発達障害のある理図(りと?読み仮名無しなので、たぶん、りと。)が子どもたちに自作紙芝居『パキポキアライグマ』を読み聞かせているところから物語は始まる。

「黒いアライグマは、洗い物が得意ですが、人間にお前の手は雑菌に満ちているから仕事は任せられないって差別されるの。ぐすん、こんな厳しいご時世なのに、限られた職しか選べないよー」

『パキポキアライグマ』のアライグマのセリフだ。

ネタバレはしない範囲で僕の好きなところを書く。

理図の職場は計測就労支援作業所だが、社名は存在する。
APOだ。カタカナでアポと読ませるが、アポイントメイントオフィスの略らしい。障害者が気軽にアポできる作業所にしたいとの思いでつけたらしいが、単にNPO法人であることをもじっただけではないかと利用者は疑っている。真意は定かではない。

気軽にアポできるってところが、個人的にすごく好きな感じだ。

何かの機会にパクらせてもらおうと思う。

安易な感じに惹かれる。

そのキャッチコピーが世に浸透して、新たな仲間と出会える日がきっと来ることを。ブラックでもアットホームでもない、作業所を、障害者の居場所だと安心してくれる世の中になることを。

ブラックでもアットホームでもない、というところが僕は好きだ。

ブラックだとかアットホームだとかは、お相撲が決めたことだ。(これの意味は本文を読んで下さい。)

ただのお相撲が決めた(に決めさせた)ことなんだと思いながら、ブラックとアットホームを行きつ戻りできるような、そういう場所っていいよなー、と思った。


皮肉っぽい前向きさが魅力の小説だと思います。


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note
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小説読めない感じの期間が継続中だ。あんまり小説が読み進まなくなり、エッセイとか真面目な本とかを読んでいる。

先日の角田光代さんのエッセイに続き、今回は阿刀田高さんの『日本語を書く作法・読む作法』を読んだ。

阿刀田高さんの本は読んだことは無いが、amazonからおすすめされたのでkindleで購入。元は1700円くらいの本が、400円くらいだった。およそ70%offの超お得商品。まあ、文庫本なので元が1700円なんてことは無いし、たぶん何かの表示ミスだとは思う。

それでも70%offとか言われると買ってしまう。

タイトル通り、書くことと読むことに関するエッセイ集。

「読 書 は お 好 き で す よ ね ? 」   よ く 受 け る 質 問 の 一 つ で あ る 。 「 今 は 仕 事 の 一 部 で す か ら 。 で も 、 ま あ 、 好 き と 言 え ば 好 き で す ね 、 昔 か ら 」   と 答 え る 。 「 ど う し た ら 読 書 好 き に な り ま す か 」   こ れ は 答 え る の が む つ か し い 。 「 好 き な 本 を 見 つ け て 、 そ れ を 読 め ば い い ん じ ゃ な い の か な あ 」 「 そ れ を ど う や っ て 見 つ け る か … … 」 「 私 は い つ の ま に か 読 ん で た ん で す よ 。 も の ご こ ろ が つ い た と き に は 、 も う 」   正 直 な 答 だ が 、 こ れ だ け で は な か な か 納 得 し て も ら え な い 。 私 も も う 少 し ま し な こ と を 言 い た い 。 な に か 適 切 な 答 は な い も の か 。 こ の ご ろ に な っ て 、~ そ う 言 え ば 、 言 葉 遊 び の た ぐ い が 小 さ い こ ろ か ら 好 き だ っ た な あ ─ ~ 言 葉 遊 び を 通 し て 言 葉 へ の 関 心 が 作 ら れ 、 そ れ が 読 書 へ の 扉 を 開 き 、 抵 抗 感 を そ い だ の で は あ る ま い か 。 な に か し ら ぼ ん や り と し た 因 果 関 係 が あ っ た よ う に 思 う 。


僕も読書は結構好きなほうで、サーフィンよりも、動物の森よりも、読書が好きだ。

ただ小さい頃から本を読んでいたかというと、そうでもない。

活字は好きではなかった。漫画はよく読んでいたが。

自宅の向かいに年上のいとこ家族が住んでいて、晩御飯の後とか、休みの日とか、いとこの家に行って漫画を読んでいた。

特に金田一少年の事件簿は、繰り返し読んでいた。1巻から25巻までなら、すべての事件の犯人とトリックを暴くことができる。一番好きな事件は、異人館村殺人事件だ。

3年前くらいに島田荘司さんの『占星術殺人事件』を読んだときには、トリックが分からなかった自分を恥じた。異人館村殺人事件と占星術殺人事件はトリックがほとんど一緒だからだ。恥じるくらいには金田一を読み込んでいる自負はある。

僕が本を読み始めたのは、21歳とか22歳くらいの頃だったように思う。

急に読み始めた。

当時はamazonの送料がもう少し安くて、中古本が今よりも安く変えていたように思う。

本屋で面白そうな本を見つけて、その場でガラケーのブラウザからamazonを開き買っていた。スマホは無かったので、とにかく下カーソルをカチカチカチカチ押して、安い本を延々と探していた。

阿刀田さんが書いているように、僕も言葉遊びが好きだったし、今でも言葉遊びが好きだ。

2ちゃんねるのまとめサイトをたまに見ているが、匿名での罵詈雑言がどうのこうのというよりも、言葉遊びのうまさが見ていておもしろい。

事務所近くのカフェでこのblogを書いているのだが、店員さんが着ているパーカーのフードがとにかくでかくて気になるので、ここで終わることにする。

す、と知らない男が近寄ってきて、私のテーブルの前に立つ。夜更けの到着で不安に圧迫されている私は、おそるおそる男を見上げた。色の黒い、白いシャツを着たその男は、じいーと私を見下ろしていたかと思うと、鼻の下に指を二本あて、真顔で「カトチャン、ペッ」と言った。へなへなと腰が砕けそうであった。日本人旅行者に教わったのだろう。彼はそれだけ言うと、すーっと離れて店の奥に消えた。

たまにエッセイが読みたくなるときがある。

先日、その状態になったのでkindleでパラパラと検索してこの本を買った。

夜でもささっと本を買えるのはkindleのいいところだ。

活字を読みたいけど、読みたい活字が手元にない。twitterの活字では少し物足りない。

そんなときは、読みたい本を探して5秒でダウンロードができる。(20分も30分もkindleで検索して終わるときもある。)

この本は『夜』をテーマにしたエッセイ集だ。

旅先での『夜』や、日本での日常の『夜』が描かれている。

上の引用はモロッコでの夜のことだそうだ。

角田光代さんの小説はあまり読んだことはないが、エッセイは『いつも旅の中』『世界中で迷子になって』に続き3冊目だ。どのエッセイもとても客観的で淡々と、あることやものをそのまま書いている感じがする。とても読みやすい。

酔いもすっかり醒めていた私は、さっきよりよほどはっきりした恐怖を感じた。目が冴え、ジャック・ニコルソンのアップ顔が思い浮かぶ。映画『シャイニング』のジャック・ニコルソンである。

エッセイを読んでいると、俳優の名前とか、映画のこととか、わりとよく出てくる。

が、映画をほとんどみない僕はジャック・ニコルソンと言われても顔も浮かばない。

もちろんgoogleでジャック・ニコルソンを検索する。

ジャック・ニコルソンのおすすめ映画ベスト20みたいなサイトを見る。

まあ知らない映画ばかりだった。

かろうじて『カッコーの巣の上で』だけは見たことはあったが、もちろんジャック・ニコルソンの顔はピンとこない。

こういうときに、サッとジャック・ニコルソンの顔が頭に浮かび、シャイニングの場面が頭に浮かぶ人になりたい。

すぐに浮かばないと、損した気分になる。

googleで調べても意味がない。その瞬間にイメージを浮かべて楽しみたい。

と、思ってamazon prime videoで映画を見始めるときがあるのだが、すぐに飽きてtwitterを開いてしまう。

最近は、映画知りマンになることは諦めている。


幾千の夜、昨日の月 (角川文庫)
角田 光代
KADOKAWA/角川書店
2015-01-24

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