NPO法人あそーとの腰が低めの代表のblog

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2018年12月

僕は情報収集が趣味なので、四六時中スマホでネットを見ている。

居場所カフェに関して言えば、他団体の発信はすべてチェックできるようにSNSのフォローを完備し、必要なものはRSSリーダーも使って、発信はできるだけ追うようにしている。

大阪の他団体さんのSNSや発信媒体ももちろんフォローしており、その情報にはいつも勉強をさせてもらっている。

居場所カフェ界隈でよく出てくる言葉として「高校生からポロっとこぼれる」というものがある。僕も外で居場所カフェのことを話すときは「高校生からポロっとこぼれる」という言葉を使っている。はじめは何気なく使っていたけれど、ここ数ヶ月でとても実感が出てきたと感じている。

昨年の4月から高校内居場所カフェを始めて2年弱が経過した。1年生のときから居場所カフェに来てくれている生徒とは、もうそれくらいの付き合いになる。あそーとが実施している居場所カフェは月に1度もしくは2度ほどなので、多い生徒で20回ほどは顔を合わせただろうか。やっと最近、コイツにならポロっとこぼしてもいいかな、と思ってもらえるようになってきたかなと感じる。
 
高校生から「ポロっとこぼれる」言葉が、本人の抱えるしんどさの発見につながり、そこから個別のソーシャルワーク支援がスタートする。


「なあなあ、聞いてーやー」とカウンターで暇そうにしている僕の前に、イスを持ってくる。(僕はできるだけ暇そうにするようにしている。雑誌をパラパラめくったり、意味もなくコーヒーを淹れてみたり。)

「お母さんからのプレッシャーがきつくて」

「学校ちゃんと行け~って。わかってるねんけど、言われたら、なんかなー。」

「テストはまあぎりぎりやねんけど。」

「文章問題難しすぎるねんなー。読んでたら文字が順番バラバラなったり、入れ替わったり。」
「“る”と“ろ”とか、“あ”と“や”とか、見分けるの難しない?!」

「文章だけで歴史の人物当てさせるの、あれ反則。わかるわけないやん。顔があったらすぐわかるねんけど」

その間、僕は、

「いやー、大変やなー」

「留年せえへんように、休む回数数えといたほうがいいで。年間60回休んだらアウトやから、スマホに休んだ日メモしときー。数えれるように。」

とか

「読むの苦手なら、先生に教科書読んでもらってスマホに録音しとき。それテスト前に聞きながら登校したらいいねんー。」

とか言っている。

こういうふうにポロっとこぼしてくれたら、最近学校を休みがちな彼や彼女のことを見る角度が増える。彼や彼女の立体感が増すというか、なんというか。まあ、より理解できる。先生にも、こんな角度からも考えられるかもしれません、僕の見立てはこうです。なんていう話もできる。

まずは、こぼしてもらうことが必要だ。コイツになら、まあ、ちょっとはこぼしてもいいかな、と思ってもらえるようにしていく必要がある。戦略的に。

「次のカフェの日の3日前が誕生日!」と言われたら、(見られていないところで)すかさずスマホのメモに入れて、次回の時に言うようにしている。

直接、名前を聞いていなくても、注文用紙を見て名前を覚えて、ふと名前を呼んでみたりしている。(「なんで知ってるん?!」と大抵言われる。「いや、いつも自分名前書いているやん。」と返す。)

そういう風な、個人と個人のやりとりに加えて、場の雰囲気も重要になってくると思う。

そんなことを考えてはいるのだけれど、まだまだ自分の中でも、組織の中でも、そういう風なことを抽象的にまとめて表現できるような言葉になってきていない。

ぽろっとこぼせる居場所を作って継続していくためには、そういう“風”なことを表す言葉が組織内に必要だ。

今できることは、細かいエピソードを組織内で積み重ねていくことだ。おもしろエピソードも含めて、組織内で情報の共有、価値観の共有(というか見せ合い)を行っていこうと思う。

それらが、「ポロっとこぼせる」居場所を作るための初めのステップだと思っている。


来月、居場所カフェ実施校で教員向けの研修をお願いしてもらったので、LDのことも内容に入れようと思っている。

12月19日(水)に大阪の居場所カフェの取り組みを報告する「高校生サバイバー」というフォーラムが開催された。僕は実施団体スタッフとして第2部に登壇させて頂いた。

1部、2部、3部のどれもがとても勉強になった。それらを聞いて思ったことは、また後日で。

あそーとが居場所カフェを始めたときのことを思い返す機会にもなったので、まずはそれについて書こうと思う。

高校内居場所カフェ事業を法人として始めた理由は、ある発達凸凹(発達障害ではなく発達凸凹と書きます。)の人との関わりの中で、学校在学中の支援の必要性を感じたからだ。

その方は30歳を超えてから発達障害の診断を受けた人で、診断が出るまでは自分がうまくいかない理由が分からずにとてもしんどかったと仰っていた。(診断が出た後も、しんどいのはもちろんしんどいですよ、とは言っておられる。)10年ほど引きこもっておられ、支援に繋がったのは30歳を超えてからだ。

高校在学中に発達凸凹のことが分かっていたら、少しはしんどさが軽減できたのかなーなどと思っていたところ、高校内居場所カフェのことを知った。そして、あそーと地元の課題集中校で居場所カフェの事業を始めることになった。



高校生に会い始めるまでは、高校内居場所カフェのコンセプトである、①安心・安全の場所②文化のシェア③個別のソーシャルワークのどれもがピンとは来ていなかった。

僕の中の高校生は自分の延長線上の高校生だった。僕には、安心できる場所があったし、たくさんの文化にも触れてきた。実家には床が抜けるほどの本がある。「私はこう思うけど、君はどう思う?人それぞれ考え方があるやんね。」なんて言いながら、僕の意見に無条件で耳を傾けてくれる人もいた。高校時代の周りの人たちもそんな感じだったと思う(そのように見えていた。)。

正直なところ、僕のイメージできる高校生が抱える困難さには“発達凸凹”“境界知能”くらいしか無かったと思う。“子どもの貧困”とか“虐待”とか、ことばでは知っていたけれど、ピンとは来ていなかった。(当時はピンと来ていないことにも気づいていなかった。)

けれども、この2年間で高校生たちと会っていく中で、上記のことばを少しは理解することができたと思う。同時に高校内居場所カフェの3つのコンセプト(①安心安全の場所②文化のシェア③個別のソーシャルワーク)の意味も少しは分かってきた。

発達凸凹の方の支援の文脈で始めた居場所カフェだったけれど、それだけではなかったなと(当たり前だけれど)今は思っている。

もちろん、発達凸凹があると感じる生徒と会うことも多い。すでに本人の困り感が大きい場合は、生徒に信頼してもらう→なんとなくそれとなくすこしづつ凸凹のことを伝える→受診を提案する、という関わりが必要であると思う。一方で、現時点で本人には困り感が無い場合もある(先生は困っている。)。兎にも角にも、居場所スタッフのみでは支援は行うことはできない。先生との連携、SSWとの連携、外部機関との連携、などを含めてのソーシャルワーク的な支援が必要になってくる。



そんな話を、先述の発達凸凹の方に聞いてもらったりしている。月1,2回ほど話をする機会があるので、生徒に凸凹のことを伝えたほうがいいですかね?なんて相談にのってもらったりもしている。

「たとえ診断が出たところで、周りに変化がなければ一緒ですよ。本人が自分の特性を分かっていても、親なり職場なり、周りの人が変わらなければ診断の意味は無いですね。」

「でも、自分が高校生のときに、そんなのがあったら行ってたかなー」

とのことだった。

なるほど。

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