NPO法人あそーとの腰が低めの代表のblog

NPO法人あそーとの代表のblogです。

NPO法人あそーとwebサイト http://npo-assort.com/
book and cafe cocoaru webサイト http://cocoaru.npo-assort.com/

2017年09月

速水健朗さんの『フード左翼とフード右翼~食で分断される日本人~』という本を読んだ。

10月14日(土)にcocoaruでブクブク交換というイベントがある。

テーマに沿った本を参加者が一人2~3冊持ち寄って紹介し、最後に本を交換しあうというイベントだ。

先日、主催の方からcococaruに連絡があり、イベント会場として使って下さることになった。

僕も参加する予定だ。

今回のテーマは「秋」とのこと。

ベタだが、食欲の秋ということで食べ物関連の本を持って参加しようと思っている。

ということで、前から気になっていた『フード左翼とフード右翼』を買って読んでみた。

ちなみに、もう一冊は村上春樹の『パン屋再襲撃』にしようと思っている。


『フード左翼とフード右翼』は、食の好みと政治意識に関係があるのでは?という問いがメインの本だ。

「どう食べるかは政治的なことである。」というのが本書のテーマになっている。

帯にも「政治思想を食で見抜く」と書いていて、

フード左翼

自然食
ベジタリアン
ビーガン
スローフード運動
ミネラルウォーター
地産地消
マクロビ
ファーマーズマーケット


フード右翼

メガフード
ジロリアン
遺伝子組み換え作物
牛丼つゆだく
ファストフード
水道水
B級グルメ
ジャンクフード
コンビニ


と、書いてある。

この帯からなんとなくイメージができると思う。


もちろん、

勝手なレッテル貼りに気を悪くするかもしれないが、本書はそういう思考実験の末に、現代人の政治意識を導き出そうという趣旨のものなので許してほしい。

と、著者も断っているので、ただのレッテル貼り本ではない。

内容は、googleで検索するといろいろな人が書評を書いておられるので、そちらを読んでみて欲しい。

cocoaruにも置いておくので、興味のある方はご来店下さい。

僕はエコとかオーガニックとか、この本で言われるフード左翼的なものに対しては、どうも説教臭さを感じてしまう。

食べるものもエコとかオーガニックとか、全くと言っていいほど興味がない。

そんな感じだったのだが、結婚をすると食事が少し変わった。

オーガニックのちょっといい野菜とか食べる機会ができた。

オーガニックのちょっといい野菜とか、おいしい。

自分が買い物するときも、ちょっといい野菜とか買うことが増えた。

説教臭いとか言って、ごめんなさい、と猛省している。



先日紹介したヤンキー性とか、今回のフード左翼とか、新しい社会の切り方(分け方?)を知ることはとても楽しい。

これは、僕の陰気な趣味だなと気づいた。










EXILEとONE PIECEには気をつけろ、と事務所でスタッフとよく話していた。

アゲと気合、そして関係性こそ全てだ、という価値観には、常に自覚的であろうみたいな感じだ。

僕は、EXILE的なもの、ONE PIECE的なもの、に違和感を感じていた。

ただ、違和感を感じながらも、どこかで憧れてしまうような感じ。

これがなんとも気持ち悪く、EXILEとONE PIECEへの警戒感が高まるばかりだった。



斎藤環さんの『世界が土曜の夜の夢なら〜ヤンキーと精神分析〜』という本を読んだ。

この本は不良という意味での「ヤンキー」について書かれた本ではない。

ファッションとしてのジャージ、ゴールドのネックレス、ヴィトンのバッグ、ドン・キホーテ、サンリオ、車のダッシュボードのムートン、ヌイグルミ、ショッピングモール、EXILE、矢沢永吉、GLAY、浜崎あゆみ、クローズZERO、ROOKIESなどの映画

これらの言葉から、ほんのりと浮かび上がってくる「ヤンキー」のイメージ。その「ヤンキー」だ。

個人の美意識に潜むヤンキー性を、いろいろな事例(音楽、漫画、芸能界、ドラマなど)から明らかにしていく、という本である。

このヤンキー性は日本の文化形成の過程にも見られ(古事記などにも言及している。)、日本文化とヤンキー文化の関連性みたいなのも述べられている。日本文化形成の過程にも「アゲと気合」というようなものが見られるということだ。

が、最後のほうは学術書っぽくなっていて難しく僕には読み切れなかった。

なので、印象的だったところだけを紹介する。

例えば、本書ではキムタクはヤンキー的なもの、とされている。

キムタクはヤンキー文化の最も洗練されたスタイルの体現者である。彼の不動の人気の理由もそこにある。僕はキムタクに、ヤンキー美学の理想形をみる。


そして、キムタク語録から、下記のようなものが引用されている。

「後に何も残らないぐらいの燃焼。仕事は『最高の遊び』と思っていたい。」
「あがいている自分が好き。無理だと思っていることにチャレンジしているときが、やけに楽しいのよ」
「魅力的でいるために必要なこと?う〜ん、ちゃんと笑う、心底笑うときがあって、心底悩んでいるときがあって、心底楽しめるってことじゃないかな?」
「生きていればさ、いろいろあるよ。特別に寒い日だったり、特別に暑い日だったり、特別に波がいい日だったり、特別に機嫌がいい日だったり……その時々で、『イェーイ!』っていう感動があれば、それでいい。」

キムタク語録から、著者は相田みつをを連想する。


 「語録をみて、僕がまず連想したのは、『相田みつを』 ではないか、ということだった。まず、徹底して 『ベタ』 であること。いずれの言葉も背景に高い知性を感じさせつつ、アイロニカルな感性をみじんも感じさせない。意外なほど現実志向、実利志向が強く、今日からでも活かせそうな効能がある。内容は真摯かつ実用的だが、そのぶん自己啓発的な印象もある」


というような感じで、ヤンキー性の分析が進んでいく。

著者はこのヤンキー性を否定はしていない。あくまで、「ヤンキー性とは何か?」という問いに対しての答えを様々な事象から分析していくだけだ。


僕は、このような分析的な視点は対人援助においてとても大切なことだと思っている。

そしてそこで分析の対象になるのは、自分自身だ。

初めに書いた、僕自身が感じているEXILEとONE PIECEへの違和感も、この本を読んで少しわかったような気がした。

僕はいつでも斜にかまえていたいタイプだ。中2病的といえばそうなのだが、そこは自覚しているので許してほしい。

それでも、高校生のときは相田みつをの「幸せはいつも自分の心が決める。みつを」みたいなのに純粋に感動していたりしていた。高校生のときに限らずそれを最上の価値観だとしばらく思ってしまっていた。

ただやはり対人援助の仕事をしていると、自分にとっての最上の価値観が周りの人にとっての最上ではないことは良く起こる。それでいろいろとうまくいかなかったこともあった。

自分の無自覚な価値観が邪魔になることもある。正論は凶器になることもある。(最近のあそーとの会議で出た名言だ。)

過去の押しつけがましい自分の態度(ヤンキー性への無自覚な信望)への嫌悪感が、EXILEやONEPIECEへの違和感になっているような気がする。

そして、こういう自分の真面目なことを書いた後は、

「こういうことを語るのが一番意味のないこと。」「誰が興味あるねん。」と自分のblogのことを評したくなるくらいに、僕はまだまだ中2病だ。(斜に構えたいという意味で。)

そういう"斜に構えたさ"が、EXILEやONEPIECEの"ヤンキー性=ベタさ"に抗うのだろうと思っている。

そして、ちょっぴりのヤンキーへの憧れみたいなのもあるのだろうなと思う。

このブログだけでは「ヤンキー性」が全然わからないと思うので、興味のある人は読んで下さい。cocoaruに置いてます。



「あ、今、何をしにきたか忘れた。」

「歳とってきてるわー。」

みたいな会話はよくあることだと思う。

この、何をしにきたか忘れた、ということは僕にもよくある。

物忘れが基本的にひどい。

短期記憶?というやつだろうか、さっきやろうとしていたこととか、さっきの頼まれごととか、よく忘れる。

先日も、トイレットペーパーが無くなりそうだったので妻に買い物を頼まれていた。

トイレットペーパーを買うために、2Fが薬局になっているスーパーに買い物に行った。(普段は違うスーパーに行く。)

晩御飯の材料を買って、その後に薬局に行って買う予定だった。

が、忘れた。晩御飯のおかずのことを考えていると、トイレットペーパーのことは全く消えていた。

それがお昼。その後、5時頃に妻に言われるまでトイレットペーパーのことを思い出すことはなかった。

というようなことが、昔から本当によくある。

昔からありすぎて、「歳とってきてるわー」にもならない。

自分にとっては当たり前のことすぎて、「歳とってきてるわー」に「そんなもんですよ。」と返してしまう。

これはたぶん、過集中が原因なのだと思う。

考えごとをしていると、シャンプーをしたかどうかを忘れてしまうこともある。(周囲の泡でシャンプー済みがどうかが判断できるので特に問題は無い。)

最近気づいたのだが、どうも僕は一つのことに注目が向いてしまうと、短期の記憶が抜けてしまうことがあるようだ。

「渡しておいて」「言っておいて」「やっておいて」このあたりの頼まれごとは危険だ。

なので最近は自分の能力を過信せずに、すぐにメモを取るか(スマホを活用)、頼まれごとは瞬間でやる、ようにしている。

ここでも"忘れないよう意識する"みたいな意識を改めることは全く意味がない。

環境を変えなければいけない。

そして、この忘れっぽさを一番解消できる技は、なんといっても"頼まれないようにする"ことだ。

頼まれなければ、忘れることもない。

これは仕事を拒否するということではなく、僕が頼まれないでも仕事が回っていくような仕組みをつくる、ということだ。

あそーともスタッフが増えてきたので、組織作りみたいなことを考えることも増えた。

やはり、仕組みに目を向けるということがとても大切なことだと思っている。

個人の資質に状況が大きく左右されるようでは、スタッフ個人への負担が大きくなると思う。

それでは、組織を作っている意味がない。

他人への叱責、個人での反省、よりも仕組みを考えることに時間を使っていきたい。



要は、忘れても頭ごなしに怒られない組織にしたい、ということだ。

忘れることはいいけど(仕方がないから)、仕事が進まないのはダメだとは思っている。


ちなみに、スタッフからの「渡しておいて」「言っておいて」「やっておいて」の仕事を頼まれる量が減ってきていることに、僕は気づいています。



「明日できることは今日するな」ということわざがある。(らしい。トルコのことわざのようだ。)

「今日できることを明日に延ばすな」とか「明日やろうはバカやろう」とか、そういうのとは反対だ。

僕は、ものごとの優先順位を付けましょう、と解釈している。

優先順位を付けることは大事なことだ。

どんなことでも全部はできない。

①やること


②やらないこと・捨てること・諦めること

に分けるようにしている。そうしないと僕は疲れてしまう。

できれば、疲れたくない。

なので、僕は優先順位を付けることにけっこう力を使う。

「明日できることは明日しよう」と、あそーとの事務所でも昔からよく言っている。

特に起業したての頃なんかは、自分に酔い気味で何でもしようとしていたので自戒を込めて言っていた。

「あぁ~、自分、仕事してるぅ♡」とか思いがちだ。(僕だけかもしれないが。)

「仕事してるぅ♡」はとても危険だ。



ただ、僕はたまたま労働に喜びを感じられるような、非常に恵まれた形で仕事をしていて、お金をもらえているけれども、全ての人がそう感じられる職業に就いている訳でもない。だから、たまたま恵まれた自分が、自分の基準で、「働くって楽しい」とか「働くことと生きることがイコールであるべきだ」っていうのは傲慢だなと思っている。



是枝さんの映画は見たことないが(というか、僕は映画が見れない。ここ5年でガイドヘルパーの仕事以外ではたぶん映画を見ていない。)、そうだなと思う。

あそーとは24歳のときに同級生3人と立ち上げた。とかいうとキラキラ感が発生してくることがある。

晴れた日の公園(みどりが多め)を背景に、3人が笑顔で並んで(3人にピントが合って背景はぼやけている。)るようなホームページが出てきそうだ。

たぶんその中の一人はカメラのほうではなく、ちょっと斜めを向いている。

このキラキラ感は、対人援助をする上ではとても邪魔なものだと僕は思っている。

自動発生したキラキラ感が、キラキラ圧になってしまってないか、とか考える。(もしかしたら、ただの僕の自意識かもしれない。それならそれでいいことだが。)

なので、ちょっと大げさ目に力を抜くようにしている。

なにかの雑誌で、漫画家の浦沢直樹が、歌手の斉藤和義を「全力で力を抜いている」と評していたけど、まさしくそんな感じでいきたい。

こういうことを書いていると、このblogがキラキラ日記になってきてしまっているのでは、と心配になる。

気を付けなけらばならない。

手が荒れる。

食器洗いを素手でやるとそれだけでダメだ。

なので、食器洗いをするときは必ずゴム手袋を付けている。

僕が食器を洗う可能性のあるところには、どこにでもゴム手袋を置いている。

家のキッチンはもちろん、洗面所、事務所、とにかくどこにでも置いている。

エステーの指先強化ゴム手袋があるところは、僕が洗い物をするところだと思ってもらっていい。

カバンの中にもいつも使い捨てのゴム手袋を入れている。それくらい、素手での洗い物を恐れている。


子どもの頃は、手が荒れることは無かった。

20歳くらいのときに寿司屋のバイトで強力な洗剤で洗い物をした。初めて手が荒れた。

それから何かが変わってしまったようで、自宅の食器洗剤でも荒れるようになってしまった。

乾燥も大敵なので(だと思っているので)、ハンドクリームも欠かせない。手を洗った後にハンドクリームを塗らないと、手が荒れ始める。

基本的に僕は面倒くさがりなので、ハンドクリームを塗る(面倒くさい)VS手が荒れる、だと手が荒れる方を取ってしまうことが度々あった。

今は、手を洗う可能性のあるところの近く、すべてにハンドクリームを置いている。

これでハンドクリームを塗らないことは減った。(それでもたまに塗らなくて荒れる。)

やはり、意識を改める(面倒臭がらずにハンドクリームを塗る)ことはあまり意味がない。ていうか、無理だ。意識を改めなくても、環境を変えれば解決することは多い。


先日、皮膚科で「無添加の洗顔に変えたらニキビが減った。」みたいな話をすると、ハンドソープも無添加にしたら?と勧められた。(娘のために無添加の洗顔を買ったが、洗顔を嫌がった。買い込んだものが余ったから僕が使うことにした。)

完全無添加は、シャボン玉石鹸、もしくはミヨシ石鹸とのことだった。

早速、amazonでミヨシ石鹸ハンドソープを購入。

今のところ、手荒れがマシになっている。

3階事務所にこっそり無添加ハンドソープを置いているので、手荒れに悩む人は使ってください。

↑このページのトップヘ