僕は情報収集が趣味なので、四六時中スマホでネットを見ている。

居場所カフェに関して言えば、他団体の発信はすべてチェックできるようにSNSのフォローを完備し、必要なものはRSSリーダーも使って、発信はできるだけ追うようにしている。

大阪の他団体さんのSNSや発信媒体ももちろんフォローしており、その情報にはいつも勉強をさせてもらっている。

居場所カフェ界隈でよく出てくる言葉として「高校生からポロっとこぼれる」というものがある。僕も外で居場所カフェのことを話すときは「高校生からポロっとこぼれる」という言葉を使っている。はじめは何気なく使っていたけれど、ここ数ヶ月でとても実感が出てきたと感じている。

昨年の4月から高校内居場所カフェを始めて2年弱が経過した。1年生のときから居場所カフェに来てくれている生徒とは、もうそれくらいの付き合いになる。あそーとが実施している居場所カフェは月に1度もしくは2度ほどなので、多い生徒で20回ほどは顔を合わせただろうか。やっと最近、コイツにならポロっとこぼしてもいいかな、と思ってもらえるようになってきたかなと感じる。
 
高校生から「ポロっとこぼれる」言葉が、本人の抱えるしんどさの発見につながり、そこから個別のソーシャルワーク支援がスタートする。


「なあなあ、聞いてーやー」とカウンターで暇そうにしている僕の前に、イスを持ってくる。(僕はできるだけ暇そうにするようにしている。雑誌をパラパラめくったり、意味もなくコーヒーを淹れてみたり。)

「お母さんからのプレッシャーがきつくて」

「学校ちゃんと行け~って。わかってるねんけど、言われたら、なんかなー。」

「テストはまあぎりぎりやねんけど。」

「文章問題難しすぎるねんなー。読んでたら文字が順番バラバラなったり、入れ替わったり。」
「“る”と“ろ”とか、“あ”と“や”とか、見分けるの難しない?!」

「文章だけで歴史の人物当てさせるの、あれ反則。わかるわけないやん。顔があったらすぐわかるねんけど」

その間、僕は、

「いやー、大変やなー」

「留年せえへんように、休む回数数えといたほうがいいで。年間60回休んだらアウトやから、スマホに休んだ日メモしときー。数えれるように。」

とか

「読むの苦手なら、先生に教科書読んでもらってスマホに録音しとき。それテスト前に聞きながら登校したらいいねんー。」

とか言っている。

こういうふうにポロっとこぼしてくれたら、最近学校を休みがちな彼や彼女のことを見る角度が増える。彼や彼女の立体感が増すというか、なんというか。まあ、より理解できる。先生にも、こんな角度からも考えられるかもしれません、僕の見立てはこうです。なんていう話もできる。

まずは、こぼしてもらうことが必要だ。コイツになら、まあ、ちょっとはこぼしてもいいかな、と思ってもらえるようにしていく必要がある。戦略的に。

「次のカフェの日の3日前が誕生日!」と言われたら、(見られていないところで)すかさずスマホのメモに入れて、次回の時に言うようにしている。

直接、名前を聞いていなくても、注文用紙を見て名前を覚えて、ふと名前を呼んでみたりしている。(「なんで知ってるん?!」と大抵言われる。「いや、いつも自分名前書いているやん。」と返す。)

そういう風な、個人と個人のやりとりに加えて、場の雰囲気も重要になってくると思う。

そんなことを考えてはいるのだけれど、まだまだ自分の中でも、組織の中でも、そういう風なことを抽象的にまとめて表現できるような言葉になってきていない。

ぽろっとこぼせる居場所を作って継続していくためには、そういう“風”なことを表す言葉が組織内に必要だ。

今できることは、細かいエピソードを組織内で積み重ねていくことだ。おもしろエピソードも含めて、組織内で情報の共有、価値観の共有(というか見せ合い)を行っていこうと思う。

それらが、「ポロっとこぼせる」居場所を作るための初めのステップだと思っている。


来月、居場所カフェ実施校で教員向けの研修をお願いしてもらったので、LDのことも内容に入れようと思っている。