12月19日(水)に大阪の居場所カフェの取り組みを報告する「高校生サバイバー」というフォーラムが開催された。僕は実施団体スタッフとして第2部に登壇させて頂いた。

1部、2部、3部のどれもがとても勉強になった。それらを聞いて思ったことは、また後日で。

あそーとが居場所カフェを始めたときのことを思い返す機会にもなったので、まずはそれについて書こうと思う。

高校内居場所カフェ事業を法人として始めた理由は、ある発達凸凹(発達障害ではなく発達凸凹と書きます。)の人との関わりの中で、学校在学中の支援の必要性を感じたからだ。

その方は30歳を超えてから発達障害の診断を受けた人で、診断が出るまでは自分がうまくいかない理由が分からずにとてもしんどかったと仰っていた。(診断が出た後も、しんどいのはもちろんしんどいですよ、とは言っておられる。)10年ほど引きこもっておられ、支援に繋がったのは30歳を超えてからだ。

高校在学中に発達凸凹のことが分かっていたら、少しはしんどさが軽減できたのかなーなどと思っていたところ、高校内居場所カフェのことを知った。そして、あそーと地元の課題集中校で居場所カフェの事業を始めることになった。



高校生に会い始めるまでは、高校内居場所カフェのコンセプトである、①安心・安全の場所②文化のシェア③個別のソーシャルワークのどれもがピンとは来ていなかった。

僕の中の高校生は自分の延長線上の高校生だった。僕には、安心できる場所があったし、たくさんの文化にも触れてきた。実家には床が抜けるほどの本がある。「私はこう思うけど、君はどう思う?人それぞれ考え方があるやんね。」なんて言いながら、僕の意見に無条件で耳を傾けてくれる人もいた。高校時代の周りの人たちもそんな感じだったと思う(そのように見えていた。)。

正直なところ、僕のイメージできる高校生が抱える困難さには“発達凸凹”“境界知能”くらいしか無かったと思う。“子どもの貧困”とか“虐待”とか、ことばでは知っていたけれど、ピンとは来ていなかった。(当時はピンと来ていないことにも気づいていなかった。)

けれども、この2年間で高校生たちと会っていく中で、上記のことばを少しは理解することができたと思う。同時に高校内居場所カフェの3つのコンセプト(①安心安全の場所②文化のシェア③個別のソーシャルワーク)の意味も少しは分かってきた。

発達凸凹の方の支援の文脈で始めた居場所カフェだったけれど、それだけではなかったなと(当たり前だけれど)今は思っている。

もちろん、発達凸凹があると感じる生徒と会うことも多い。すでに本人の困り感が大きい場合は、生徒に信頼してもらう→なんとなくそれとなくすこしづつ凸凹のことを伝える→受診を提案する、という関わりが必要であると思う。一方で、現時点で本人には困り感が無い場合もある(先生は困っている。)。兎にも角にも、居場所スタッフのみでは支援は行うことはできない。先生との連携、SSWとの連携、外部機関との連携、などを含めてのソーシャルワーク的な支援が必要になってくる。



そんな話を、先述の発達凸凹の方に聞いてもらったりしている。月1,2回ほど話をする機会があるので、生徒に凸凹のことを伝えたほうがいいですかね?なんて相談にのってもらったりもしている。

「たとえ診断が出たところで、周りに変化がなければ一緒ですよ。本人が自分の特性を分かっていても、親なり職場なり、周りの人が変わらなければ診断の意味は無いですね。」

「でも、自分が高校生のときに、そんなのがあったら行ってたかなー」

とのことだった。

なるほど。